ゼンタイパワード

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【超雑感】映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』

監督:ジェームズ・キャメロン

脚本:J・キャメロンほか

2022年12月16日公開 192分

2022年12月16日、グランドシネマサンシャインにて鑑賞

 

※感想後半のネタバレ部分には注釈があります

 

 

神秘の惑星パンドラに、再び地球からの侵略者が迫っていた。元海兵隊員で、"アバター"の技術によって現地人ナヴィの一員となったジェイク・サリー(サム・ワーシントン)は、妻ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)や5人の子供たちと平和に暮らしていたが、かつて彼らが倒したクオリッチ大佐(スティーヴン・ラング)のバックアップされていた人格が、アバターとなって復活。追い詰められたサリー一家は森を離れ、広大な海に暮らすメトカイナ族のもとへと身を寄せる……

 

MAIN THEME

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  • 松隈ケンタ
  • サウンドトラック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes


・レーザーIMAX 3D HFR(ハイ・フレームレート)にて鑑賞。

 

192分


・長え〜〜〜〜〜〜よ。


・長い長い長い。

 


・キャメロンおうの肝煎り、パンドラの海の映像美は本当にお見事。光の差し込む海底、そこを彩る生物たち、ナヴィの青い肌を濡らす波の飛沫……


・ここに関しては筆舌に尽くしがたいというか、あまりにリアリティがありすぎてドキュメンタリー映像を見せられているかのよう。


・一部ハイ・フレームレート映像(通常24fps→48fps)の導入で、より没入感の高いリアルな映像が……みんなはどう!?


・ハイフレームレート、好き!?


・おれは大好き!!!!


・というのも、昔から塾をサボって通ってたヨドバシカメラに並んでる、最新型テレビに映るフレーム補完のヌルヌル映像に憧れてたから。


・アレ嫌いって人多いよね〜〜。トム・クルーズが「フレーム補完使わんといて〜」って言ったのも有名な話。


・アレはHFRで撮られたネイティブ映像じゃなくて後から処理して補完してるだけだから、そこがイヤ!ってのは まあわかる。


・実際……映画は24fps(秒間24コマ、ちなみに大昔は16fps)だからこその重厚さ、というか リッチさ、と言うか いい意味での非現実感を演出できてるとも思う。


・逆にスマホで撮る時も24fpsにすると、なんか急に映画っぽくなるし。


・ただなあ〜〜。コレ結構 人間の認知の問題っていうか、24fpsに慣れすぎてるからこその刷り込みなんじゃあないの?とも思う。映像の原点に立ち返れば、よりリアルに見えた方がそりゃあ良いんだし。

 

・肉眼に近い没入感、としてHFRが効果的に利用されている例だと、ライドアトラクションの映像とかかな。コレも自分がHFR好きな理由で、USJにあったバック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライドとかが60fps。ハリーポッターのフォービドゥン・ジャーニーが120fpsだったっけ。目に焼きつくほど乗ったもんね。


・最近のHFR作品だと、日本では3館でしか上映されなかった『ジェミニマン』120fps版が思い出される。ウィル・スミス対ウィル・スミスのやつ。


・バイクの回転するタイヤとか、お店の中をブチ壊しまくる機銃掃射……の、飛び交う弾丸ひとつひとつ、壊れる棚や商品の破片ひとつひとつの軌跡……とかとか、とにかく何もかもが目に入ってくるゆえの情報量の暴力という印象だった。


・今回のアバターでも一部がHFR映像で、まあやっぱり なんてったって視覚の情報量。ネイティリの矢とか、水中で勢いを失う弾丸とか、回転するエンジンローターのブレードとかとか、効果的に導入されていたと思う。

 


・しかし人間の慣れって怖いもので、ヌルヌルしてんな〜と思いながら観てて……逆に24fpsの映像に戻ると「あれ?」って思っちゃうんだよな。もちろんシーンごとに考えて使い分けられてたと思うんだけど、技術的に可能であればずっと48fpsでやってくれてもよかったんじゃないか……とも思う。


・一部でIMAXサイズに切り替わります……みたいな映画もなんだけど、どうしても「あ、切り替わったな」って気持ちがノイズになっちゃうから……

 

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・脱線しすぎたので閑話休題。


・パンドラの生き物たちや、海に暮らすナヴィ・メトケイナ族のデザインはよかった。地球の生き物に近いような気もしつつ(まあ環境が近いって設定だし)、ちゃんと骨格や生態が想像できる生物としてのデザインで、新キャラクターたちもみんなカワイイし。


・3D映像に関しても、やっぱり昔の3D映画と比べて明確にキレイというか、立体的な空間での奥行きの表現が冒頭からスゴすぎる。生物たちの挙動のリアルさと相まって、水族館のメチャメチャキレイな水槽を見てるような感じ。安っぽい例えだけど……


・一番グッときたのは、中盤で出てくる小型潜水艇の内部から見た視点の……コックピット天面のアクリルの歪みですね。あの閉塞感と臨場感がすばらしかった。

 


・ストーリーに関しては、なんか……元の『アバター』が1本の映画で、5部作にします!!!ってことになり、その2作目……というより、"続編4部作の1作目"って感じ……


・……というか、一本の映画の起承転結、の""を 3時間かけて見せられた感じ。


・一作目の『アバター』も、当時としても既に古臭い"白人酋長"テイストの王道すぎる物語で、そこが批判されてたりもしたんだけども。


・でもこの"白人酋長"もなー。要は描き方のバランスの問題ではあると思う。ウルトラマンとかも実質そうだしね。


・今回は"家族の団結"がテーマで、引っ越した先でモメないように現地コミュニティに馴染もうとしたり、元軍人の厳格な父親がリーダーとパパの間で揺れるのをお母さんにたしなめられたり、息子兄弟間のコンプレックスだったり、何事にも興味津々な末っ子がトラブルに巻き込まれたり……


・な な なんか……全部見たことありすぎる……


・……んだけど、これも意図的なものなんだろうなと思う。アメリカの映画界を背負ってきたキャメロンが、自分のライフワークとしてこのシリーズを残す……ってなった時に、ベタもベタ、アメリカ映画の超王道ストーリーを、この時代で作り得る最高峰の映像に載せてお届け……っていうのは さもありなん というか。こういうのを歴史に残しておくって意味合いもあるんじゃあないかな。


・前作は略奪者の一員としてやってきたジェイクが現地人のコミュニティに認められていく話、今回もテメーの都合で逃げてきた一家が海の一族に争いを持ち込む話、ではあって、そこにどうしても乱暴さは読み取れてしまうんだけども……


・たとえ増長した有害なコミュニティの一員として生まれてしまった者であっても、敬意を払えるのならば……別のコミュニティにも受け入れてもらえる、その一員になれる、ということを 心から信じているストーリーなんだろうな、と思う。


・これを幻想と切り捨ててしまうこともできるんだけどね。構造的加害者であっても個人として悪ということではない……はよくても、だからって構造的被害者のコミュニティのリーダーになっちゃうのはどうなの!?っていうのが前作だし。


・今回はここに関して、もうすっかり森のナヴィ(オマティカヤ族)に馴染んだサリー一家が焼け出され、逃げた先で受け入れてもらえるのか!?っていう構図になってて。前作の反省点をうまいこと活かしたな、というか……上手くすり替えたモンだな、とも言えちゃうけど。


・加えて、クオリッチ大佐やジェイクといった父親たちが変わっていく姿を描くことで、アメリカ的な古臭い家父長制の否定を……

 

 

 

 

 

 

 

 

〜以下、ネタバレを含みます〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できてね〜〜よ!!!!!!!!

 


・え ジェイクすげ〜〜〜〜ヒドくない!?何なのアイツ!?


・前作ではザ・悪くて白い軍人だったクオリッチ大佐に関しては、かなり切り込んでたと思うんだけど(まあ 彼の方にストーリーの主題を置いたんだろうけど)前作でもぶっちゃけ好感度最悪だったジェイク、家父長制そのものの権化みたいになっちゃってたじゃん!マジで何なの!?!?!?


・いや……まあ、ジェイクをそういう立ち位置に置くことで、新世代のキャラクターたちが主人公に……!なら まだわかるんだけど、結局ジェイクがラストまで主人公として描かれるし。


・ラストで命がけで助けに来たロアク(弟)を、死んじゃったネテヤム(兄)の名前で呼んじゃうのとかマジ最悪だったし……さすがにあそこは意図的にやってるんだろうけど。


・ナヴィ族の愛の言葉である「あなたが見える」を、これまで"見えて"いなかった息子に言ってやるくだりとかは 悪くなかったんだけど。それでも結局、生きてる子供たちとの触れ合いじゃなくて長男ネテヤムの葬式で映画終わっちゃうし。


・あと終盤、スパイダーいないのに(溺れ死んでるかもわかんない状況なのに)「みんな生きててよかった……!サリー家は団結するぞ……!」みたいにやってるのも ウワッ 感じワル!!!と思っちゃった。


・クオリッチ大佐の方は……なんか あの人だけ別の親子再生モノの映画から来た?ってくらい丸くなってたなあ。


・自分の死と直面した経験もあってか、いきなりデカくなっちゃった息子に初っ端から甘々で えらく人間味のあるキャラになっていた。


・それでも結局スパイダーはナヴィのコミュニティの一員として生きていくことを選んだワケだけど(あのマスク、性能すごすぎない?)、相棒として絆を結んだイクランだけはクオリッチの元に戻ってきたのはグッときた。


・ああいうヤツいいよね。ラオウの馬・黒王号みたいな。


・家族の物語!!!にフォーカスしすぎて、ラストバトルで誰も助けに来ないのはちょっと面白かったけど。族長の息子との友情物語はどこへ?


・ていうかマジで森の人たちは全然出てこなかったですね。何十年後かの5作目でアッセンブルしたりして。

 

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・なんかやたら日食のカット多くなかった!?


・あと英語字幕がダサすぎてビックリした。あのフォントはなんなんだ。

 

・「いや〜もうナヴィ語習得したわ」ってジェイクが言ったら 字幕もスッ……て消えて英語に変わったのは面白かった。

 

・ナヴィ語のアクセントをイジるシーンまであるのに、その後もナヴィ同士の会話でバリバリ英語なのはどうなんだ。

 

・今回、物語上で明確にう〜〜んと思ったポイントがもう2つあって、まずは科学文明を否定しすぎている点。


・まあ前作からして……というか、文明と自然を対比関係に置いた作品って えてしてココに陥りがちなんだけど、自然の神秘と伝統を偏重するあまり、非論理的なスピリチュアルに寄りすぎてしまう現象が起きるという。


・個人的には、たとえば幽霊とか超自然現象について、人智のいまだ及ばない範囲の 何らかのエネルギーやロジックに基づいた現象は、まあ存在しているかもしれないと思っていて。なので、たとえば伝統的な儀式が、実は科学的にもこういう意味があって、それを経験で学んでいたのだ、とか。当時は解明されていなかったが現代ではこういう機構だったことが判明している、とか。そういうのは大好き。

 

・人智の及ばない、じゃなくて いまだ及んでないだけ……っていうね。


・MCUシリーズとかも基本はこの考え方に則ってると思うんだけど、魔術とか神秘のパワーであっても、そこには絶対に一定のルールと論理が成立し……それを解明することが科学である、という。


・で、たとえば惑星パンドラのエイワの木とか、ナヴィたちの魂の存在とかに関しても、地球のロジックではいまだ解明しきれないけど、あくまで系統立った論理に基づいたシステムとして解釈が可能である……と……思ってるし、そう描いてほしかったんだけども。


・キリがぶっ倒れてさ〜。人間の科学者じゃ何もできなくて、シャーマンみたいな人の民間療法で治っちゃうシーンとかさ。なんか……なんかなあ〜〜!!!!すげーモヤモヤする描き方で……


・それこそ母親(?)のグレイス博士とかもさ〜。地球人による略奪には警鐘を鳴らしてたけど、人類の叡智を結集した科学による分析と問題解決能力は信じていたワケじゃないですか。


・そこにこそ文化に踏み込む暴力性を孕んでる、ってのもわかるんだけど……やりようだと思うんだよな〜。敬意を払うことと、知ること・学ぶことって両立させられると思いたいし。


・そもそものアバター技術にしたって、人間がナヴィに近付くための科学力の賜物だし。


・なんか終盤で覚醒したキリの力に関しても……まあエイワと繋がったことでなんやかや、なんだろうけど "説明はあるけどロジックが読めない"っていう摩訶不思議な描写だった。

 

 

・で もう一つは、まあ反捕鯨のメッセージの描き方ですね。メッセージ自体じゃなくて、その描き方の問題。


・捕鯨そのものに関しては、個人的には文化保護と動物愛護の両視点から、うまくバランスを取れたらいいなあ……と思いつつ、調査捕鯨とか言いながら商用の鯨肉をバリバリ獲ってたのとか、「高尚で伝統的な日本の文化に白人の価値観を押し付けられるのが嫌!」が先行しすぎちゃってんじゃあねーの、とか、でも「動物だけど知能が高いからクジラは守ろう!」も それはそれで非論理的だよね、とかとか考えつつ。結局はクジラが政治アピールの道具になっちゃってるのもあって、入り組みまくった問題だと思うんだけど……それは 一旦 置いといて


・今回登場した海洋生物・トゥルクンは、まあ明らかに地球のクジラがモデルになっていて……エンドロールでも美しく泳ぐトゥルクンがずっと大写しにされて、地球の海洋生物の保護を訴えるキャメロンの「クジラを守ろう!」というメッセージが全開に。


・前作では、略奪者の目的を希少な鉱物アンオブタニウムの採掘に置くことで、地球の天然資源やレアメタルの問題に重ねていた。今回も「研究費もここから出てるんだぞ」みたいなセリフを前作と被せつつ、トゥルクンの脳から獲れる"アムリタ"を乱獲するのが地球側の目的。


・で、海のナヴィであるメトケイナ族は彼らと言葉を交わし、"魂のきょうだい"として助け合いながら生活を……

 


・…………

 


・……なんか……それは……話が違くない?

 


・いや、まあ、現実世界の捕鯨をさ。未開の少数民族、野蛮人による無知な愚行だとしよう。そこはまあ、まず、一旦、そうだとする。


・で、それに対して、多数派の文明人はクジラが高い知能の持ち主であることを知っており、美しい海を守るためにも捕鯨をやめるよう働きかける。これも、まあ、そうだとしよう。一旦ね。


・で……今回の映画では、トゥルクンは無辜の少数民族、心優しい現地人たちと共に生きる動物で、なんなら言葉まで交わしちゃう。


・そこにやってきた悪い略奪者は、自分たちの利益しか考えておらず、残酷にもバルーンや爆薬を使って殺戮を繰り返し、あまつさえ醜い死体も見せしめに浮かせて放置する。

 


・…………

 


・……そこを……すり替えるのは……ちょっと……卑怯すぎない!?

 


・前述したように、"クジラを殺す"伝統とか文化の保護、もまた(非科学的とはいえ)多文化社会を運営していくのであれば、テーブルの上に載っけるべき議論であって。守る側を伝統文化にしちゃったら……それはもう 殺す方が完全に100パーセント悪いじゃん!!!


・略奪者側に"悪"を全部押し付けるのはさすがに都合が良すぎるヨォ〜。ナヴィがメシ食ってる描写もないし。


・あと普通に言葉を交わしちゃってる(字幕まで出る!!!)のもどうかと思った。あくまで"賢い動物"という異種族間の線引きがあるからこそ共生できるのであって……


・爆裂モリの発射台に日本語(メーカー名?漢字2文字で"日浦"だったかな)("Japan"と"Cove"の直訳?)が書いてあるのとか、潜水艇でいきなりアジア人俳優が出てくるのとか(他の場面にいたっけ?)マ〜〜ジで感じワル〜〜〜〜って感じ。当て擦りすぎじゃない?


・コイツが今回の悪い白人で〜す!!!って人も、いきなり腕ぶった切られてビックリした。急にグロ!!!!!!


・パヤカンが人間の攻撃でヒレを失った話のリフレインなのはわかるんだけど。


・まあ 残酷描写に関しては、愚かな人類が矢でバスバス殺されていくから全然いいんだけど。それにしたって切断された腕まで美麗なIMAX3Dでスッ飛んでいくのはビビったぜ。

 


・あと超どうでもいい話、どれだけ激しく泳ごうと絶対に局部が見えないのは 睾丸が削除された『ライオン・キング』超実写版を思い出しました。

 

・そんな感じでした。まあ あと続編が3本あるって言うんでね。次はナヴィ側の科学者とかも出てきてほしいな。

 


・地球側の船のやたら勢いのあるカッコいいパイロット、何だったんだろう……